二国間の関係をたどってゆくと、先史時代から二国間には繋がりがありました。1930年には東京大学と拓殖大学にウルドゥ語研究の学部が設置されました。この時から、日本で、本格的にウルドゥ語とパキスタンの研究が進みました。
1951年、サンフランシスコ講和会議において、パキスタンは南アジアから唯一の重要な国として出席をしました。中国は招待をされず、インドとビルマ はそれぞれの事情から出席を見合わせました。会議において、パキスタンは日本に対して平等に接するように強く求め続けました。当時パキスタン外務大臣で あったザファルラー・カーン氏は、会議の場で、歴史に残る演説を残しました。彼は「日本の平和は、正義と公正によって維持されなければならず、復讐や反発の気持ちを抱いてはいけない。将来、日本は世界で社会的、政治的な重要な役割を果たすことになるであろう。日本は輝かしい未来を持っている国であり、必ず平和を愛する人々なのだ。」と日本の立場を擁護しました。
1952 年4月28日に国交が樹立されてからさらに二国間の関係は進展しました。パキスタンは講和会議の直後に日本に商工会議所を設置した数少ない国の一つであ り、また、日本は1952年に、まだ大使館を開く国が少なかったカラチに大使館を開きました。パキスタンからは、ミアン・ジアウディン氏が初代の大使に選 ばれ、日本に赴任をしました。
1952年4月外交関係が築かれて以来、日パの関係はさらに深まりました。1950年代の朝鮮戦争の時代、パキスタンと日本は同じ西側の国として働きました。
1960年、アユブ・イブハル大統領が来日をし、翌年には池田首相がパキスタンを訪問しました。この間に、日パの間で、YENクレジット制度と交換留学生のプログラムが作成され、開始しました。
80名のパキスタン人の生徒がその後日本に留学に来て、千葉大学を中心としたいくつかの大学で言語と技術の勉強をしました。これらの生徒はパキスタンに新 しい技術をもたらしただけでなく、日本の機械を使う知識を持ちかえり、パキスタンと日本の関係をさらに強くすることにも貢献をしました。
YENクレジットは日パの経済的な関係を築きました。YENクレジットは、日本が輸出品の支払いを延長することを認める代わりに、パキスタンは日本の製 品を優先的に買い入れるというものでした。これは、パキスタンには、良質の製品を安く買い入れることを可能にし、日本にとっては、まだ南アジアで知られて いなかった日本製の工業製品の品質を南アジア、中東に広める良い足がかりにしました。
1980年、日パの関係はパキスタンがソビエト連邦のアフガニスタンへの侵攻を食い止める最前線としての役割を基本とした関係になりました。パキスタンの保全は日本が中東から石油を買い入れるための道を確保するためにも失ってはならないものでした。
1998年のパキスタンの核実験以来、関係が一時冷え込んだこともありましたが、政治レベルの関係が閉ざされることはありませんでした。
森 善朗首相による2000年8月のパキスタンへの訪問で、日パ両国の関係がさらに強化されました。パルヴェーズ・ムシャラフ大統領が2000年に日本を訪問 し、2001年になると、日本は公式にパキスタンに対してテロリズムの最前線での活躍に対して感謝の言葉を残して行きました。2005年の地震の時にも人 道支援をパキスタンに行いました。
2005 年4月30日から5月1日の間に小泉純一郎首相がパキスタンを訪問した時、日パ共同宣言を発表しました。そこでは、「日パ両国関係は新しい段階を迎え、強 くたくましい新しい関係を作る時代になった。」と宣言されました。その同じ年の8月にシォーカット・アジズ首相が日本へ訪問をしました。
日本はパキスタンが2007年に民主国家に戻ったことを歓迎し、民主国家として東京で行われたパキスタン支援国 会合へ招待しただけでなく、10億ドルの支援を表明しました。また日本は、パキスタンへの食料と緊急支援の援助をすることを明言しました。これらの発表は 2010年11月14日・15日パキスタンで行われた発展途上国支援フォーラムで行われました。
2011年2月21日から23日のアシフ・アリ・ザルダリ大統領の訪日時に、両国は日パ包括的パートナーシップ共同声明を結びました。
要人往来
以下は、国交樹立以来の双方の要人往来の記録です。
1. 日本から
1957 | 岸信介首相 |
1961 | 池田隼人首相 |
1962 | 皇太子彰人殿下と皇太子妃 |
1983 | 中曽根康弘首相 |
1990 | 海部俊樹首相 |
2000 | 森善朗首相 |
2005 | 小泉純一郎首相 |
2. パキスタンから
1960 | アユブ・カーン大統領 |
1983 | ジア・ウル・ハク大統領 |
1987 | ムハンマド・カーン・ジュネ-ジョ首相 |
1989 | シャヒード・モータルマ・ベナジール・ブットー首相 |
1990 | グラム・イシャク・カーン大統領 |
1992 | ナワズ・シャリフ首相 |
1996 | シャヒード・モータルマ・ベナジール・ブットー首相 |
2002 | パルヴェーズ・ムシャラフ大統領 |
2005 | ショーカット・アジズ首相 |
2009 | アシフ・アリ・ザルダリ大統領 |
2011 | アシフ・アリ・ザルダリ大統領 |
両国間での活動
日パ両国では以下の活動が行われています。
- 1年ごとの外務次官レベルでの外交会議
- 防衛会議(防衛省・外務省大臣レベル)
- 実務者間の軍縮、核不拡散会議
- 公式レベルでの輸出入調整会議
- 実務者間のテロ対策会議
- ハイレベルでの経済政策対話
2国間協定
合意・協定 |
合意日時 |
有効開始時 |
|
1. | 日パ貿易合意 | 1953年4月10日 | 1953年5月14日 |
2. | 日パ貿易合意 | 1954年10月29日 | 1954年9月15日 |
3. | 日パ文化協定 | 1957年5月27日 | 1958年4月21日 |
4. | 日パ貿易合意 | 1957年9月7日 | 1957年7月1日 |
5. | 日パ貿易合意 | 1958年9月5日 | 1958年9月1日 |
6. | 日パ二重課税回避と脱税摘発に関する会議 | 1958年12月10日 | |
7. | 租税条約 | 1959年2月17日 | 1959年5月14日 |
8. | 日パ貿易合意 | 1959年9月23日 | 1959年9月1日 |
9. | 日パ二重課税回避と脱税摘発に関する議定書作成会議 | 1960年6月28日 | |
10. | 二重課税回避議定書作成条約 | 1960年6月28日 | 1961年8月1日 |
11. | 農産物交易センター設立に関する日パ合意 | 1960年7月30日 | 1960年7月30日 |
12. | 日パ友好通商条約 | 1960年12月18日 | 1961年8月20日 |
13. | 国際郵便為替交換合意 | 1961年2月7日 | 1961年8月1日 |
14. | 航空協定 | 1961年10月17日 | 1962年7月12日 |
15. | 通信業研究センター設立に関する日パ合意 | 1963年11月16日 | 1963年11月16日 |
16. | 西パキスタン・ピットクリークに新港建設をするための技術・経済調査開始準備協議 | 1971年2月2日 | |
17. | 投資保護協定 | 2002年4月29日 | 2002年5月29日 |
18. | 共同技術交換合意 | 2005年4月30日 | 2005年4月30日 |
19. | 租税条約全面改訂 | 2008年1月23日 | 2008年11月9日 |
|
発布待機合意 |
合意日時 |
有効開始時 |
1. |
日パ地雷撤去活動に関する覚書 | 2009年3月3日 |
日本が行っているODA
国家支援政策により、日本はパキスタン政府が経済を活性化し、貧困撲滅戦略計画書にそった活動ができるように支援をしています。特に保険、公衆衛生、農業教育、灌漑、経済資本投資、経済成長戦略の分野で援助をしています。以下は、具体的な支援のリストです。
種類 | 分野 | プロジェクト名 | 実行場所 | 支援受益組織 |
開発調査 | 公衆衛生 | カラチ上水・下水設備調査 | カラチ | カラチ水道局 |
技術移転計画 | 農業・灌漑 | 灌漑組織運営方法指導 | パンジャブ州 | パンジャブ灌漑・防衛委員会、パンジャブ灌漑・排水センター |
技術移転計画 | 環境 | 環境評価システムの技術交換会 | イスラマバード、カラチ、ラホール、クエッタ、ペシャワール | パキスタン環境保護局 |
技術移転計画 | 環境 | ゴミ集積所建設 | イスラマバード、ラーワルピンディー、ラホール、ムルタン、ファイサラバード、ペシャワール、クエッタ、カラチ、スクール | パキスタン環境保護局 |
技術移転計画 | 教育 | パンジャブ文学啓蒙プロジェクト | パンジャブ州 | パンジャブ州文学・非公式文章教育部 |
技術移転計画 | 統治 | パキスタン税関建設 | イスラマバード、カラチ | 財務省歳入局 |
技術移転計画 | 統治 | パンジャブ州政府州庁舎拡充工事 | パンジャブ州ハフィザバード庁舎 | パンジャブ州地域発展部 |
技術移転計画 | 経済資本投資・経済発展 | ライ・ヌラー・バシンでの洪水リスクマネージメント強化計画 | イスラマバード・ラーワルピンディー | 連邦洪水支援機構、ラーワルピンディー都市計画部、ターシル市議会 |
技術移転計画 | 経済資本投資・経済発展 | 高速道路研究・開発センター | イスラマバード | 国営高速道路委員会、通信省 |
技術移転計画 | 経済資本投資・経済発展 | 建設機器訓練設立(発展途上国支援プログラム) | イスラマバード | 発展途上国支援プログラム |
技術移転計画 | 経済資本投資・経済発展 | 交通政策助言 | イスラマバード | 国営高速道路委員会、通信省 |
開発調査 | 自然災害援助 | パキスタン・ムザファラバード市天災緊急支援・再計画・再建設調査 | ムザファラバード | 地震再計画・再建設委員会 |
技術移転計画 | 農業 | 農業調査・成長戦略作成 | ハイバル・パフトゥンハー州 | カイバール・パクテューンワ州農業家畜支援部 |
技術移転計画 | 医療 | ツベルクリン接種プロジェクト | イスラマバード、パンジャブ州 | 保健省 |
技術移転計画 | 医療 | 母体保護 | イスラマバード | パキスタン医療科学研究所 |
技術移転計画 | 医療 | EPI・ポリオ接種プロジェクト | ハイバル・パフトゥンハー州ブネール、シャンラ、スワット地区、イスラマバード | 保健省、国営保健研究所 |
有償ODA | 教育 | バローチスターン中等教育 | バローチスターン州 | バローチスターン州教育部 |
有償ODA | 交通 | インダス高速道路建設計画第三部 | シンド州 | 国営高速道路委員会、 |
有償ODA | 交通 | 東西道路拡充計画(N70) | パンジャブ州 | 国営高速道路委員会 |
有償ODA | 交通 | 一般道整備計画第二部 | シンド州 | シンド州労働サービス部 |
有償ODA | 防衛 | 道路補修・舗装 | シンド州、バローチスターン州、ハイバル・パフトゥンハー州、パンジャブ州 | 国営接続・舗装社 |
有償ODA | 防衛 | ダデュ・クンジャラブ接続設備投資 | シンド州、バローチスターン州 | 国営接続・舗装社 |
有償ODA | 防衛 | パンジャブ接続設備・休憩施設整備 | パンジャブ州 | 国営接続・舗装社 |
有償ODA | 水道 | 下チェナブ運河システム保護 | パンジャブ州 | パンジャブ灌漑・防衛委員会 |
有償ODA | 水道 | パンジャブ灌漑システム拡充 | パンジャブ州 | パンジャブ灌漑・防衛委員会 |